AFP通信が2007年11月2日のニュースで、フィリピンでの日本軍兵士による人体実験の証言を得て記事にしている。以下に引用しました。
フィリピンでの人体実験を語る旧日本軍兵士
【11月2日 AFP】終戦から62年を経た今、多くの旧日本軍兵士たちが戦場での経験を語っている。
第二次世界大戦時に海軍衛生兵としてフィリピンに従軍した牧野明(Akira Makino)さん(2007年5月に死去、当時84)も、その1人だ。今まで、自身の体験について語ることはなかった牧野さんが、所属部隊がフィリピンの戦場で行った人体実験の実態について語り始めたのは、妻を亡くしてからのことだった。
牧野さんは、今でも自身がフィリピン人捕虜らに注射をして昏睡状態に陥らせ人体実験を行っているおぞましい記憶がよみがえるのだという。その度に、牧野さんは堅く目を閉じて必死に記憶を振り払う。
しかし、その一方で、牧野さんは、自分の命があるうちに、多くの人々に自分が体験した事実を伝えなければならないとの使命感を感じるようになった。
大阪市内の病院でAFPのインタビューに応じた牧野さんは「それは生体実験だ。生体実験にほかならない」と語りだした。「生きているものをそのまま解剖して実験するということ。これが肝臓だ、これがあれだといってね」
牧野さんが所属する部隊の軍医は、衛生兵らへの手術実習として、捕虜から取り出した内臓を用いて説明を行っていたという。
牧野さんが、こうした体験を公表したのは2006年。フィリピンでも旧日本軍による捕虜人体実験が行われていた事実を公表したのは、牧野さんが初めてだった。牧野さんの告白は日本国内で論争を呼び起こし、牧野さんを「嘘つき者」と攻撃する国粋主義系サイトも現れた。
20人ほどから成る牧野さんの部隊は、終戦の1年前の1944年、戦艦大和に乗船し他の1500人部隊とともにフィリピンのミンダナオ(Mindanao)島に上陸。牧野さんの部隊は、敵機の偵察が任務だった。
しかし、牧野さんらがミンダナオ島西部のザンボアンガ(Zamboanga)の日本軍基地に到着した後、軍本部からの連絡が途絶え、軍需物資はおろか医療品も不足。状況は日ごとに悪化の一途をたどった。
困窮する状況の中で、牧野さんの部隊を苦しめたのは、イスラム系の少数民族モロ(Moros)族のゲリラ攻撃だった。モロ族について、牧野さんらは、槍で敵を襲撃する残忍な部族だと聞かされていた。また、モロ族に襲われた人々を救い出したこともあったという。
牧野さんの部隊が捕らえた捕虜のほとんどもモロ族だった。
「そりゃ捕まえておかんといかんですけれど、そこで処分したってかまわないんですよ。もうそこで処分しちゃうんですよ」
その場で斬首された捕虜もいたが、多くは人体実験用に軍医に引き渡されたという。軍医は衛生兵らに手術の方法を教える素材として捕虜を使用した。
衛生兵らが麻酔注射や酸素ガスを施すと、数秒で捕虜は気を失ったという。その後、軍医は意識のない捕虜の身体にメスを入れ、牧野さんら衛生兵の目の前で解剖を始めた。
人体実験後の数日間は、牧野さんは食物を口にすることができなかったが、じきに慣れてしまったという。
「やけくそ半分ですわ、はっきりいうたら。私がそうやったですわ。やけくそですわ。なるたけならしたくないですよ、そんなことは。だけど、やれっていわれたら、軍人は命令には絶対に従わなくちゃならないということがあるわけですよ。やらな今度はこっちがやられるわ」
牧野さんの告白は、中国東北部で旧日本陸軍の石井四郎(Shiro Ishii)軍医中将軍が細菌を用いた人体実験を行った「731部隊」を彷彿とさせる。
しかし、牧野さんによれば、牧野さんの部隊が行った人体実験は、組織的なものではなく、敗戦色が濃厚となるなか自暴自棄となった軍隊による偶発的なもので、細菌を使用したり、実験データを記録したこともないという。
60年以上たった今でも牧野さんは、フィリピンでの経験を決して忘れることはできない。当時の経験を語るにも、途切れ途切れに語るのがやっとの様子だ。
旧日本海軍司令官だった寺嶋芳彦(Yoshihiko Terashima)さん(86)も、牧野さん同様、フィリピンで戦場を経験した数少ない生存者だ。寺嶋さんも、戦争末期の戦場の状況は酷いもので、兵士らは生き残るため思いつく限りのことをしたと語る。
寺島さんの部隊は人体実験は行っていなかったものの、医療品も物資も不足した負け戦状態のなかで、軍医も試験的に、そういうことをするのは当然だったと寺嶋さんは言う。「それは軍医の判断だ。現場だけの判断だ」
牧野さんは、兵力も武器も弾丸も全てが不足する中で日本が戦争に負けたのは当然だと、厳しい口調で語る。
牧野さんの人生は戦争でむちゃくちゃになったと、牧野さんは言う。しかし、海軍に志願したのは自身の意思だから、波乱万丈の人生の責任は自身にあるのかもしれないともいう。当時は、健康な男子は皆、兵士となるのが当然だった。そんな時代に男に生まれついたなら、「兵隊に行くしかないだろう」と牧野さんは締めくくった。(c)AFP/Harumi Ozawa 引用:AFP:「フィリピンでの人体実験を語る旧日本軍兵士」
現実に天皇のフィリピン渡航の度に激しい反対デモが起こる。以前は日本人に親切にしてくれたフィリピン人も、日本が「侵略じゃなくて解放してやった」「慰安婦は売春婦だ」と言い始めてから今、現地に行く日本人は白い目で見られるようになった。東南アジアでの日本人憎悪は確実に拡大しています。
— TJ (@Jitoh) January 15, 2019
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細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記
京都新聞で報道された731部隊関連の「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
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引用元:京都新聞 2020年2月7日「731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記」
関東軍防疫給水部行動経過概況図の部分(原本は国立公文書館所蔵)
発見された厚生省作成「関東軍防疫給水部」資料は、謎に包まれている特異な731部隊の戦後処理について、新たな光を当てるものだ。
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「細菌生産」などと記された関東軍防疫給水部行動経過概況図の部分
<林口支部 部隊長榊原少佐 戦斗後約八〇名を以て横道河子に到着し…ハルビンに後退した杏樹陸病に入り勤務した>
今回発見資料中の「関東軍防疫給水部行動経過概況図」に記載があり、敗戦後ソ連の命令で病院勤務したことが分かる。榊原少佐は中国で戦犯となり炭疽菌を使った人体実験で死亡させたと供述し、帰国後は国立鳥取診療所などに勤務した人物。抑留史の資料としても貴重だ。
731部隊本部の任務についてこの公文書は「細菌の研究と生産」を、部隊への防疫給水と別のものとして挙げ、<哈爾浜(ハルビン)本部は秘密部隊で外部との出入を極度に制限していた。本部直属として航空機五~七機を所持していた>などと記載している。
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